南方熊楠顕彰会の前副会長(2011年4月~2015年3月)で、南方熊楠特別賞(第14回時)を受賞された飯倉照平先生が2019年7月24日に逝去されました。
飯倉先生は、第1回南方熊楠特別賞受賞者の長谷川興蔵先生とともに、平凡社刊『南方熊楠全集』の刊行に携わられるとともに、『南方熊楠-森羅万象を見つめた少年』などの著書をもって、熊楠翁の業績や人となりを広く世に紹介されました。
また、南方熊楠資料研究会の会長として、翁の残した膨大な資料の調査を通して「南方熊楠の基礎的研究」を進められ、『熊楠研究』の編集や『南方熊楠邸蔵書目録』『南方熊楠邸資料目録』の刊行等にもご尽力いただきました。
ここに改めて、飯倉照平先生のご功績、並びに南方熊楠顕彰事業へのご尽力に対し敬意と感謝を申し上げますとともに、南方熊楠特別賞ご受賞時の選考報告、コメントとお写真を紹介し、ご冥福をお祈り申し上げます。
〇南方熊楠特別賞選考報告(岩井宏實 選考委員長)
第14回選考委員会では、熊楠翁の業績の顕彰に功績のあった方へ贈る特別賞に、飯倉照平氏を選んだ。氏の専攻は中国文学で、なかでも口承文芸の研究では一人者である。それと共に、早くから熊楠翁の顕彰事業に深くかかわってこられた方である。
翁の業績の全体像が、一般に広く知られだしたのは1971年から刊行が始まった二回目の全集(平凡社刊、計12巻)以後だといわれている。その編集の中心人物は、第一回特別賞受賞者の長谷川興蔵氏だが、飯倉氏はその重要な協力者であった。その後も二人は協力して、全集を補う資料集である『柳田国男・南方熊楠往復書簡集』(平凡社、1975年)、『南方熊楠土宜法竜往復書簡』(八坂書房、1990年)などを世に問うた。このほかにも、単独あるいは他の人と共同して『南方熊楠 人と思想』(平凡社、1974年)、『南方熊楠を知る辞典』など、翁を顕彰する数々の著書の編者や校訂者となっている。また、『南方熊楠ー森羅万象を見つめた少年』(岩波ジュニア新書、1996年)のような、翁の人となりを少年たちに分かりやすく紹介した著作もある。
さらに大きな顕彰業績として注目されるのは、翁の残した膨大な資料の調査研究を行っている「南方熊楠資料研究会」のリーダーとしての役割である。同研究会は、田辺市と南方熊楠邸保存顕彰会の協力のもとに発足、南方邸に保存された蔵書や動植物などの標本、手紙や文書などの資料類の調査と整理を目的に組織されたものである。1992年から毎年春と夏の二回、毎回一週間ほど、10人から20人のメンバーが、田辺市の旧邸宅で、台帳や目録づくりを続けている。
翁の業績が多岐にわたることから、集まる学者や研究者たちの専門もまちまちである。近年は学際間の共同研究は盛んで、新しい学問研究の方法論の一つとして定着した感がある。しかし、現実問題として、専門を超えた研究者が一緒になって、共同作業を続けるのは難しく、ひとえにリーダーの力量にかかっているといわれる。同研究会は典型的な学際研究であるが、氏の人柄によってチームはまとまり、着実に成果をあげている。当初の目標とした熊楠邸所蔵品目録の刊行もそう遠くないと思われる。
同研究会は資料整理をすると同時に「南方熊楠の基礎的研究」を目指し、その成果は同研究会編の定期刊行物『熊楠研究』に報告し続けている。同書はすでに第5号が刊行され、「熊楠学」学術誌として、学界で認知されだした。それも飯倉氏というリーダーを得たから、と言っても過言ではない。同研究会に集うメンバーは、近く建設予定の南方熊楠研究所(仮称)の活動を支える、主要メンバーとなることは間違いないことを付け加えておきたい。
〇第14回南方熊楠特別賞受賞コメント
三十数年前、まだ三十代なかばであったわたしは、たいへんな仕事になるとは思わず、平凡社版『南方熊楠全集』の校訂を引き受けました。昼夜兼行のきつい作業を数年間つづけながら、わたしは熊楠が一面的にしか理解されてこなかったことへの義憤を感じていました。
その二十年後、邸の蔵書や資料の調査を手伝ってくれませんかと声をかけられて応じたのも、そんな気持ちが残っていたからでしょう。平凡社版全集の責任者で南方熊楠特別賞の第一回受賞者である長谷川興蔵さんが亡くなった直後で、バトンを渡されたような心境で邸の調査を手伝いはじめて、早いものでもう十年あまりになります。
いっしょに調査をしてきた多くの人たちをさしおいて、わたしがこの賞をいただく資格はないように思いますが、平凡社版全集にかかわりをもった一人として、新しい人たちの研究への橋渡しをしようと努力した点を認めていただいたものと、自分には言い聞かせています。